怒り顔優位効果
Hansenら[1]によれば,表情探索課題において怒り表情がその他の表情(幸福,無表情)よりも迅速かつ適切に探索される.この現象を怒り顔優位性効果(Anger Superiority Effect)と呼ぶ.
しかし,種々の論文に見られるような怒り顔優位性効果が本当に見られるのか疑問を持った.
なぜなら,一般的な表情において,無表情と怒り顔の画像的差異よりも,無表情と幸福顔の差異の方が大きいと考えたためである.また,怒り顔優位性効果の要因として挙げられる,脅威刺激の注意捕捉説の観点からすれば,無表情を怒り顔ないしはマイナス的,脅威的な感情であると認識するケースもあるだろうと考え,これにより怒り顔優位性効果が薄れるだろうと考えた.
従ってこれらの観点から論文を調査した.
Beckerら[2]は,怒り優位性を報告している研究の多くで用いられている模式的表情の知覚特徴が優位性の要因である可能性を指摘している.これはつまり,無表情と幸福顔の差異よりも,無表情と怒り顔の画像的差異の方が大きい表情を用いているから,怒り顔の知覚が優位的に働き,探索時間が短くなっているとしているのである.
また,衣笠ら[3]の実験によると,表情探索課題を行った結果,情動妨害の場合は怒り目標と幸福目標の探索に有意差が見られず,さらに無表情妨害の場合は幸福目標の方が怒り目標より迅速に探索された.
また,幸福妨害よりも怒り妨害の中から無表情目標の探索する場合の反応時間が長くなった.
衣笠ら[3]の実験の内容は以下の通りである.
実験内容
実験参加者 学生36名,年齢18~24歳 (平均 21.8歳)
刺激 7種類の顔表情 (幸福,怒り,悲しみ,恐怖,嫌悪,驚き,無表情)を撮影した.この顔刺激に基づき二冊の質問紙を作成し(冊子A,B),冊子Aは大学生 68名,Bは64名に評定させた.用意した顔刺激全てに対して,7カテゴリ(幸福,怒り,悲しみ,恐怖,嫌悪,驚き,無表情)から強制選択させ,さらに選択したカテゴリの強度を5段階で評定させた.その結果,本実験で使用する怒り,幸福,無表情の3表情についていずれもカテゴリ一致率が50%以上で,強度の評定平均が2.5以上の5名(女性3名,男性2名)顔写真を刺激として採用した.
顔写真刺激は顔の外的特徴の効果を除去するために顔のみを楕円形にくりぬき,観察距離40cmのとき視角1.8×1.4°となるようサイズを統一した.また,5× 5cmの仮想正方形内に中心からの距離が一定になるように配置した.刺激には目標刺激(怒り,幸福,無表情)×妨害刺激 (怒り,幸福,無表情)の9種類があり,全て20回ずつランダムに呈示した.一度に呈示する刺激として実験1では同一人物,実験2では複数人物の写真を使用した.
手続き 詳細は以下のFigure1による.刺激画面は4つの表情写真からなる.実験参加者には呈示される顔写真が全て同じ表情であるか,1つだけ異なる表情を含んでいるか,をキー (「Z」あるいは「/」)を押し分けることで判断させた.
反応に使用するキーは参加者間でカウンターバランスをとった.実験1,2共に前半54試行,中盤63試行,終盤63試行の3ブロック計180試行からなり,そのうち目標ありの試行は120試行,目標なしの試行は60試行であった.全ての参加者が両実験を行なった.なお,本試行前に10試行の練習試行を設けた.
衣笠ら[3]は,無表情妨害の場合は幸福目標の方が怒り目標より迅速に探索された結果の要因として,怒り表情と無表情を見分けるほうが幸福 表情と無表情を見分けるよりも困難であったという可能性を挙げている.これは先の私の仮説のように,無表情と怒り顔の画像的差異よりも,無表情と幸福顔の差異の方が大きいために生じた事象ではないだろうか.
また, 幸福妨害よりも怒り妨害の中から無表情目標の探索する場合の反応時間が長くなった要因として,怒り顔に対する注意の解放の遅延の可能性を挙げている.注意の解放に関しては次章で述べる.
さらに,これらの傾向は顔写真刺激の人物が同一のときよりも複数のときに増大したことから,表情探索の際に注意が表情に関する情報のみならず人物の同定に関する情報にも向けられているということが示唆されている.これはつまり,元々無表情が怒ったような顔であるような人物というのは日常生活で経験則から存在している.複数の人物を用いた場合に探索に時間がかかったのは,これの判断に時間をとられることを示唆しているのではないだろうか.これは,私の仮説にあった,無表情を怒り顔ないしはマイナス的,脅威的な感情であると認識するケース,を被験者観点とするならば,情報提示側の観点としての同様の問題であると考えられる.
Beckerら[2],衣笠ら[3]の論文等から読み取れることは,怒り顔優位性効果の存在は確固たる物ではないということである.確かに,脅威刺激の注意捕捉から,怒りの情動自体に対するバイアスは存在しているかもしれないが,単純な画像的,知覚的な差異や人物の同定,表情の個人差等,種々の要因によってバイアスが機能しなかったり,怒り顔優位性による探索時間短縮であると明確に分析できなかったりすることは可能性として高い.
いずれにせよ,少なくとも2次元画像のみの探索環境では怒り顔優位性の効果は薄く,また種々の別の要因を排除しきれない,また,それらとの関連性を調べることが困難なため,有効性の確認は非常に難しいものであると考えられる.
加えて,画像のみの判断に止まらず,音声や3次元環境を加えた怒り感情の探索も行うと,違った結果が見えてくるかもしれない.
注意の解放
注意の解放とは,一度何かに注意を払ってしまうと、注意していなかった状態には戻りにくくなる心理現象のことである.
この注意の解放について,先ほどの怒り顔優位性に関連し,脅威刺激に対する注意の解放に着目して,
論文を調べた.
MacLeodら[4] は,全般性不安障害の患者と健常大学生を対象にドット・プローブ課題(注意の解放を調べる課題の一つで,視覚的に脅威刺激と中性刺激とを対呈示した後,タイムラグ,つまりSOA (stimulus onset asynchrony) を置かず,どちらかの刺激と同じ位置にドットを呈示する。実験 参加者はドットを発見したらキーを押すよう教示され,反応時間が測定される) を行った.その結果,全般性不安障害の患者は脅威刺激と同じ位置にドットが呈示された条件(congruent 条件)の方が,脅威刺激と反対の位置(中性刺激と同じ位置)にドッが呈示された条件(incongruent 条件)より反応時間が短くなることが示された.この効果は congruency effect と呼ばれている.この congruency effect に関して,MacLeoら[4]は,高不安者がネガティブな情報に対して過敏であるため,この課題においても脅威刺激を素早く検出することにより起こると説明している.
大友ら[4]の実験では,全般性不安障害の患者に対し,不安度の差異によってSOAを長さを変えて追加したドット・プローブ課題によって 高不安者が持つ注意の解放の困難さの持続時間を調べている。
実験結果(以下のFigure1)から,脅威刺激からの注意の解放の困難さは低不安群では起こらず,高不安群のみで生じることが示唆されている
また,SOAが250 ms, 500 ms の条件においては neutral 条件と incongruent 条件の反応時間に有意な差が認められず,注意の解放の困難さが持続しているとは言えなかった。このような結果となった理由として,SOA の間は画面に一切の刺激が呈示されなかったことが挙げられる。つまり,高不安者は注意の解放の困難さを示すものの,画面から脅威刺激が消えることによって,注意が脅威的な情報から解放された可能性を示唆している.
これらから,不安度が大きい人間程,脅威刺激に対する注意の解放が困難になる,ないしは解放時間が大きくなり,それらは脅威刺激が消えた後には持続しないということが分かる.
脅威刺激にたいする注意の解放の困難さの持続性に関しては,持続性が存在しないというよりは,脅威刺激が消えることに対する(または消える時間に対する)被験者の学習が要因であるように思える.
いずれにせよ,被験者の不安度数の違いによって注意解放に互いが出ることは明らかである.
従って,先の怒り顔優位性に関連付けて言えば,被験者の不安属性をSTAI の特性不安尺度で測る等して,不安属性による怒り顔優位性への影響も調査し,再度怒り顔優位性と脅威刺激の注意補足の関連性を調べることも重要であるように思う.
まとめ
視覚探索の「注意の優先的割当てに影響する要因」,特に怒り顔優位効果に対して,
「画像的差異の違いによって怒り顔優位性が生じないケースや,脅威刺激の注意捕捉説の観点から,無表情を怒り顔ないしはマイナス的,脅威的な感情であると認識するケースもあるだろうと考え,これにより怒り顔優位性効果が薄れるだろう」という仮説を立て,その観点から調査した論文を調査した.
これらの論文から,怒り顔優位性効果の存在は確固たる物ではない可能性が示唆された.それは,単純な画像的,知覚的な差異や人物の同定,表情の個人差等,種々の要因によってバイアスが機能しなかったり,怒り顔優位性による探索時間短縮であると明確に分析できなかったりする可能性が高いことが考えられるからである.
また,衣笠ら[3]の論文で示唆されていた注意の解放について,怒り顔優位性に関連付け,脅威刺激の注意解放に関する論文を調べ,考察を行った.
参考文献
Finding the face in the crowd: An anger superiority effect.
Hansen, Christine H.; Hansen, Ranald D.
Journal of Personality and Social Psychology, Vol 54(6), Jun 1988, 917-924
Perceptual grouping, not emotion, accounts for search asymmetries with schematic faces.
Becker, Stefanie I.; Horstmann, Gernot; Remington, Roger W.
Journal of Experimental Psychology: Human Perception and Performance, Vol 37(6), Dec 2011, 1739-1757.
怒った人か怒った顔か?─怒り優位性効果の検討
衣笠 由梨,松本 絵理子
Technical Report on Attention and Cognition,2010,No. 2
Attentional bias in emotional disorders.
MacLeod, Colin; Mathews, Andrew; Tata, Philip
Journal of Abnormal Psychology, Vol 95(1), Feb 1986, 15-20.
高不安者における選択的注意と注意の解放の困難さ
大友和則, 上野真弓, 松嶋隆二, 丹野義彦
パーソナリティ研究, 2008,第 16 巻,第 2号,253–255